酒造りの業界の女人禁制について
もともと、一般的に女人禁制とは、宗教上の理由でした。
日本で最初の出家者は、尼寺での女性と云われてます。
それがいつの間にか、修行者や僧侶らが、山で霊力を得ようと山自体が、女人禁制となっていきました。
今から4年前に、京都の舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業中に、土俵上で挨拶をしていた舞鶴市の市長が倒れました。
その時、複数の女性が土俵上で市長に心臓マッサージをしていたところ、行司らしき人が、「女性の方は土俵から降りて下さい」とアナウンスがありました。
人命に関わる状況にもかかわらず、アナウンスをした行司は、ひとでなしですね。
幸いこの市長は助かったそうですが、いつまで相撲協会は、古い体制を続けるのでしょうか?
造り酒屋にもそういう風潮があったことは事実です。
古代では、米飯を噛んで酒を造る、口噛み酒や咀嚼酒と云われ、巫女(未婚の女性)の仕事とされました。
この当時は、家庭内で酒を造る時代だったことから刀自=杜氏とは、家庭の主婦の意味がありました。
こうした女性による酒造りが、時代と共に変わり男性が造るようになったのには、室町時代後期に鉋(かんな)の普及により、大量仕込の大きな桶が作られるようになりました。その結果大量の酒が造られるようになりました。
少量ならば出来た仕込が、大きくなると女性の力では、難しくなりました。
その上に、酒造りにとって雑菌は大敵、女性の結髪は雑菌を持ち込む原因とされました。
そうしたことから、いつでも褌(ふんどし)1枚になれる男性が酒造りをするようになりましたとさ。
造り酒屋の女人禁制の大きな理由として、宗教的理由と男女間の恋愛行為の抑止でしょう。
集団生活で、男性だけで寝泊りする中に女性が入ると酒造りに支障があると考えられたのでしょう。
今でも、女人禁制にしてる蔵元はあるかもしれませんが、自分がこの業界に入る前から
女性杜氏をされてた蔵元もありますし、これからも、増えていくでしょう。