toujinomichiの日記

酒造りの四方山話

杜氏の蔵入り

秋になり米の収穫も終る頃、杜氏は蔵人を連れて蔵元に入蔵する。

だいたいが、蔵人は当時の出身地を中心に親戚縁者などを使用してきたこともあり、酒造りの集団は同じ区域内で形成され、その地域の名称で呼ばれて、丹波杜氏、越後杜氏、南部杜氏、但馬杜氏等と呼ばれるようになりました。

かつて酒造りの集団はひと造りいくらと契約を交わし蔵人の賃金も杜氏が決定してました。

杜氏の技術は蔵元から信頼され大きい蔵では、2,3年造れば家が建つと言われてた。酒造りの集団は、いったん蔵に入ると造りが終了するまで故郷には帰らず、親の死に目にも会えないのが当たり前だった。

しかしながら戦後になると、どんどん機械化が進み酒蔵にもいろんな機械が入るようになってきた。洗米機、蒸米放冷機、醪圧搾機、自動泡消し機など便利な機械が導入されはじめると、蔵人の労働や生活も変化が生じてきた。

全国的にも機械化が進み、農作業も楽になり、交通網の整備の広がりもあり、地方にも企業の進出が増大し、年間雇用が進み、出稼ぎが敬遠されるような時代になりました。

最近では大きな蔵元では、かつては大部屋だったものを個室にしたり、週休二日や労働時間の短縮など改善を進め、年間雇用の社員が増えてきて、今では6割近くが正社員で酒造りをしている蔵元が増えてきています。

かつては2、3年勤めれば、一軒家が建つと言われた杜氏ですが、今では蔵元によりますが、年収で300万から600万と意外と減少してきてます。それは今までの杜氏制度で守られてきた蔵人と違い、日本杜氏組合に加盟していない社員が全国的に増大し、杜氏組合の最低賃金が守られていないことによります。

ちなみに杜氏組合の要請してる金額は、杜氏で1日27,900円、三役で16400円、三役で15300円、蔵人で13600円となりますが、数か月だけ酒造りしてる蔵と一年中酒を造っている蔵では、比較することができません。