toujinomichiの日記

酒造りの四方山話

清酒の健康診断

ようやく秋も深まり、気温も徐々に下がり始め、冬の到来を感じさせます。

当社でも新酒を搾り、しぼりたてとにごり酒の販売が始まりました。

本日は、日本酒の分析について語りたいと思います。

日本酒を造る際、米のでんぷん質をブドウ糖に変化させるわけですが、この甘み成分を酵母が分解してアルコール発酵をするのですが、この時この醪がどのくらいブドウ糖をつくり、どのくらいアルコール分があるのか醗酵状態を把握することで、どういう対策をするのが有効なのかを判断できるのです。

熟練した杜氏なら、見た目や香りでも正常に醗酵しているのか判断することも可能ですが、体調が悪く、鼻が利かないときもあるでしょう。

気温によっても左右されるのでその時々により、対応が変わります。

そんな時、科学的管理をすることにより、その成分の分析により、客観的に醪の進行状況を把握できることになり、醗酵状態への対応を早めに正しく判断できるのです。

毎日分析をすることにより、酒母や醪の醗酵状態を管理できるのです。

まず酒母をつくる際に、米と米麹と水と乳酸と酵母菌を入れて混ぜ合わせます。

酒母の初期の頃は、蒸米が溶けてブドウ糖が増えると甘くなり、比重が増加します。

そして、この甘みを酵母菌が食べてアルコール発酵をすると、比重が減少します。

この醸造管理で使用される比重計は、重ボーメ計と日本酒度計の二つがあります。

この比重計ですが、戦後できたらしいのですが、まだ自分が酒業界に入社したての頃は戦争に徴兵された蔵人と働いていたのですが、昔はガラス製の比重計等ない時代には、自分の舌で確認しながら、酒母や醪の判断をしていたと聞いております。(べろメーター)(笑)

特に酒母は、乳酸をたくさん造りますから酸っぱいのです。

この酸っぱい酒母を毎日、自分の舌で確認しなければならないので、酒母を担当していた当時の蔵人は、歯のエナメル質が酸性のために溶けて、歯欠けじじいとなりました。

現在では、ほとんど機械や測定器で計測しておりますので、歯欠けじじいはいないと思います。

このボーメ計の計測は、まず酒母や醪を濾過して透明な液体にしてから、品温を15℃にします。

それから重ボーメ計を浮かせて今現在どのくらい溶けているのか計測します。

酒母の場合は、まず-160位から始まり、暖めたり、冷やしたりしながら酵母が増殖したり、糖分を食べながらアルコール発酵をして、少しずつ辛くなります。

だいたい-60前後まで醗酵させたら酒母の完成です。

そして醪の初期はだいたい重ボーメが-70~-80位から始まります。

少しずつ酵母菌が、甘い糖分を食べてアルコール発酵をしていくとだんだんと辛くなります。

そして-30以下になると、日本酒度計を使用します。

それにともなってアルコール分も早めに計測していくと、この醪の溶け具合により一層判別することができ、この醪を冷却した方が良いのか、暖めた方が良いのか、それとも追い水をしてアルコール分を薄めた方が良いのか、早めに対応できるのです。

酒母の初期には、乳酸を添加している速醸酒母の酸度は、3~4位で暖気操作を繰り返すとだんだん酸度が高くなり、6~7位になると完成です。

醪の初期の場合は、はじめ0.5位からはじまり、1.5~2.0位で完成となります。

麹の造り方や醪の温度操作にもよりますが、日本酒の場合は酸度は多くても3.0位です。

ワインの場合は、一般的に酸度は3.0~4.0位ですからワインと比べると日本酒の酸度は低いでしょう。

最近は日本酒でも酸度を高くする酵母菌もありますので、酸度の高い日本酒も販売されていますね。

ちなみにワインに含まれている酸は、酒石酸、クエン酸、リンゴ酸、乳酸、酢酸、コハクさん等です。

日本酒は主に、コハク酸、リンゴ酸、乳酸等です。

そして最後にアミノ酸ですが、蒸米中に含まれるタンパク質が変性して麹のタンパク質分解酵素が作用して、ペプチド結合してアミノ酸に分解されます。

アミノ酸が多くなると、味がくどくなったり、お酒が老ね(ひね)やすくなります。

こうして毎日、日本酒を科学的に健康管理することにより、おいしい日本酒を醸しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田んぼのスマート管理

秋も深まり山の上の方では紅葉の季節となり、家の周りの田んぼも七割近くが刈り取られ、気温も10月に入りいきなり下がり始め、いよいよ酒造りの本格的シーズンが到来しました。

毎年のことながら、夏の間に英気を養い有給を取得しながら次の酒造りのために、日々健康管理に気をつけてきました。

ところが今年の夏にとうとう初コロナに感染してしまいました。

どこでどうやって感染したのか記憶にありませんが、病院に行くと普通の風邪のような扱いで、普通に生活していいと言われました。

しかしながら家族や会社に迷惑はかけられませんので、自宅の部屋で5日間自粛を余儀なくされました。

夜の晩酌も毎日、楽しみました。

去年までなら、ホテルとかに監禁でしたからね。

いよいよ酒造りの季節となる中、読売新聞でおもしろい記事を見つけました。

田んぼを管理するのにスマホで省力化を計っているというのです。

酒造りの世界もIT化が進んで、自動で麹を造ってくれたり、醪の管理もスマホで出来るらしいですが、何と言っても先行投資が大き過ぎて、簡単には導入出来ません。

水田稲作は、縄文時代晩期の紀元前10世紀ごろ、中国大陸より九州北部に伝来し弥生時代には、今の青森県まで伝わっていたとされてます。

米という漢字の形は、八十八の仕事があると云われております。

私が農家の手伝いをしていた当時は、朝夕の水の管理をするのにあちこちの田んぼを車で巡回し、手作業で水の管理をしてました。

たまにならいいんですが、毎日毎日休みなくやらなければならず、雑草は生えてくるし田植え直後には、たっぷりの水を張り寒さ対策をするなど、やらなくてはならないことがいっぱいあるのです。

農作業の機械化が進んだ今でも、水管理は大変です。

ところが最近、日本政府として推進するスマート農業により、作業の自動化や田んぼの水管理をめぐり、朝夕の水の開閉を手作業でしていたものを、水位センサーを取り付けた田んぼで、スマホの画面で水位や水温を確認でき、設定した水位通りに給水口を開閉させる自動化を進めているらしい。

酒造りもそうですが、その時々の先端技術を取り入れて進歩してきました。

お米のおいしさが、世界中に伝わり、そのお米を使用した日本酒が世界中の人々に愛飲されることを願っております。

 

蔵元見学パート4

それでは次に醪(もろみ)の部屋にご案内いたします。

こちらにあります大きなタンクは、外側は鉄で出来ていますが、内側はホーロー引の洗面台と同じ様なガラス素材を吹き付けて焼いてあります。

ですから割れたりしなければ、メンテナンスしながら半永久的に使用できるでしょう。

実はこの鉄のタンクは大正時代や昭和初期頃にはお金持ちの蔵元にはありました。

先見の明のある蔵元は、所有してたのです。

ただし日中戦争勃発後、政府により鉄製品の半強制的金属回収令が発令されたため、鉄製品のタンクは没収されたのでしょう。

だから今でも何処の酒蔵に行っても昭和初期に製造されたはずのタンクはなかなか見つからないのです。

しかし小さなタンクは、見つからないように隠したのかも知れません。

当蔵にも昭和初期の小タンクが1つだけありました。

そして戦後の復興と共に高度経済成長傾向にあった昭和30年代〜40年代の製造のタンクが

多いのです。

さてこれから出来上がった酒母をこちらの大きなタンクに投入すると下から10センチ程の量になります。

それから何回かに分けて、添仕込、踊(1日休み)仲仕込、留仕込と日本酒は仕込まれていきます。

これは一度に大量に仕込んでしまうと酵母菌が薄まり過ぎて、雑菌が混入すると醪が腐造してしまうかも知れませんので、酵母菌の増殖を促しながら、何回かに分けて仕込むのです。

これは人間の免疫力と同じ様な構造で、例えば人の体にコロナ菌が少し位侵入しても、健康な免疫力の高い人なら掛からないのと同じことです。

それからこちらの大きなタンクにはだいたい蒸米と米麹が1000kg位の仕込なら水が、

1300L〜1500L位入ります。

だいたいこのタンクの3分の2位になります。

そしてお米の甘い糖分を酵母菌が食べてアルコールへと変換させ、糖化と発酵を繰り返しながら、20日〜30日位かけて目標の品質になったら醪を搾ります。

この搾った酒を一升瓶に詰めるとだいたいこのタンク一本で3000本位だとして、毎日毎日1日に四合呑んだとしてだいたい20年位かかる計算になります。

ホントに1日あたり四合も呑んでたら、肝臓の方が先に壊れますね。

それからこちらのタンク一本分のお米だけの値段ですが、米の品種や精米歩合にも依りますが、だいたい平均的には約百万円位だと思います。

現代の百万円なら返せない金額ではないと思いますが、昔の百万円分のお米の価値は今の何倍もの価値があったと思います。

ですから一本でも腐造してしまうと責任感の強い杜氏さんは自殺してしまう人もいたと聞いております。

そんな危険な仕事ですから、当然お給料も良かったらしく3年〜4年杜氏をやると故郷に豪邸が建てられたと言われてます。

なんでそんなに早く建てられたかと思いましたが、あくまでも自分の憶測ですが、その当時は、蔵元から今年の酒造りは、例えばですが約三千万円を渡されたとします。

すると杜氏は自分の手下を10人〜15人程を連れてきます。

それからあんたは1年目だから百万円、あんたはベテランだから五百万円とお給料は杜氏の采配一つなのです。

大工さんも同じ様な徒弟制度でした。

ですから残りのお金は全部杜氏の懐(ふところ)に入るのです。

あくまでも憶測ですが、ピンハネの上手な杜氏程早く家を建てられたのでしょう。

さて時は江戸時代、この頃は関西地方の灘や伏見の方が、酒造りが盛んでした。

そして大消費地の江戸へ大量な日本酒を船でどんぶらこと運んでおりました。

そんな時、船に乗る船頭たちが、内緒で樽の酒を盗み呑みしていたと言われてます。

そして呑んだ分だけ水で足すものですから江戸へ着く頃には酒が薄くなります。

さらに販売店でも水で薄め、飲食店でもさらに水で薄めるものですから金魚酒なんて言葉も生まれました。

これは金魚が泳げる程水っぽいと言うことです。

そしてこの当時、上方(京都)から江戸へ酒を運ぶことを下り酒と言いました。

お得意様の江戸へ運ぶ酒は、美味しいお酒を運びました。

それとは逆に出来の悪い酒は、地元で消費され(下らない酒)たそうです。

こうして下らない酒=美味しくない酒とされ「下らない」と言う言葉が生まれました。

以上で酒造りの説明を最後までご拝読いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蔵元見学パート3

それでは次に、酒の母と書いて酒母(しゅぼ)室にご案内いたします。

こちらでは、あちらにある小さなタンクの中に米と米麹と水と乳酸と酵母菌を入れて、暖めたり冷ましたりしながらだいたい10日〜14日程かけて、酒母を育てます。

この乳酸を添加する人工的な作業のやり方を普通速醸酛と呼ばれます。

現在ではこの乳酸を添加するやり方が、主流となります。

明治時代初期頃までは、生酛(きもと)と呼ばれる蒸した米と米麹と水を混ぜ合わせ自然の力を利用して乳酸菌を育てたやり方なのです。

この生酛の作業は、山卸しと呼ばれ夜中から次の日の夕方まで3時間置きに、何人かでお米をすり潰すように櫂入れをするのです。

初めの頃は、寒い冬場でも汗だくになります。

こうして酒母の初期段階で品温を5度〜6度に抑えることで、水に含まれる硝酸カリウム

硝酸還元菌を作り出し亜硝酸を生み出して雑菌が侵入しても、淘汰してくれるのです。

こうして亜硝酸反応がある内に、米麹から乳酸菌が生み出され乳酸を造り出します。

この生酛の乳酸がまた生酛を守るのです。

それからこの酒母を暖めたり冷ましたりを繰り返しながら甘い糖分に寄ってくる性質を持つ酵母菌が棲み着き増殖してアルコール発酵をし始めて約一ヶ月かかります。

もう一つ明治時代初期に編み出されたのが、山廃酛です。

これはお米をすり潰す事なく、少しだけ蒸米を柔らかく蒸し、酒母を仕込だ後に真ん中に円柱の形をした筒状の穴の空いた汲みかけ器を入れます。

それから丸々2日位かけて、筒状の中ににじみ出る甘い液体を麹と蒸米にひたすら掛け続けます。

後は生酛と同じ要領になります。

要は、蒸米をすり潰す作業を省略した活気的な方法なのでした。

しかしどちらも、一ヵ月以上掛かる醸造方法ですので、常に腐造の危険とは隣り合わせでしたでしょう。

こうしたやり方が廃れ始めたのには、歴史的背景があります。

明治時代中期頃日本の国税の収入の3割が、日本酒でした。

明治政府としては、いかに効率良くたくさんの税金を集めるかが最大のポイントでした。

こうして安全に酒を醸造させる方法として乳酸を添加するやり方が編み出されたのです。

そして明治時代後半には、明治政府は日本醸造協会を立ち上げ、日本全国から優良な清酒酵母を集め、それを培養してさらに全国の蔵元に優良な清酒酵母を使用するように推し進めたのです。

こうして安全に早く出来上がる普通速醸酛が全国に広まったのです。

ただ現在では、全国的に原点回帰を掲げて昔ながらの製法で造られる蔵元が増えております。

奈良県等では、さらに昔の室町時代に編み出された製法の菩提酛(ぼだいもと)を復活させ原点回帰を目指しているのです。

さらなる日本酒の発展のためにも頑張ってもらいたいものです。

 

 

 

 

 

蔵元見学パート2

さてそれではこれから蔵の中にご案内していきます。

こちらの上に飾ってあります、杉玉や酒林と呼ばれるものは、酒造りが始まり最初の搾りたての新酒が出来ましたよ!と近所の呑兵衛の方に知らせるご挨拶なのです。

この杉玉は作られた当時は、緑色で青々としてましたが、だんだんと夏を越して茶色くなりお酒が、熟成して来ましたよ!と言う意味があるのです。

この次は、釜場にご案内させていただきます。

こちらの釜場では、前の日に洗米して置いた酒米を蒸す作業になります。

食べるお米の場合は、洗米したらお米の2倍の水につけて炊きますが、それでは米の水分量が多過ぎて、美味しいお酒になりません。

 

ちなみに極たまに、若い方でご飯の炊き方を習ったことのない方が、冬場の寒い時期に湯沸かし器を使い赤いご飯が出来た話を聞いたことがございます。

これは、温かい水で洗米浸漬すると細菌が増殖して赤飯(あかめし)となってしまうのです。

見た目は悪いですが、多分一度熱殺菌されてますので、食べても問題ありません。

この現象酒造りでもあるのですが、発酵中は問題ないのですが、搾り終わった後で酒粕に色素が移りピンク色の酒粕なのでとても売れません。

そしてこちらの大きな釜の上にある甑(こしき)の中に洗米浸漬したお米を前の日に入れて置いて、翌朝スイッチ・オンをすれば、1時間程で蒸しあがります。

今では、スイッチ1つで蒸しあがりますが、昔は大変でした。

江戸時代後半には、薪から石炭に代わってきたらしいですが、どちらも本格的に火が燃えるまで時間がかかりますので、この当時の釜屋さんは朝早く3時位から起き出して甑に火を入れていたらしいです。

何故こんなに早くから仕事を始めいたかというと、朝のきれいで冷たい空気を利用したかったからなのです。

102度前後の蒸気で蒸しますので、とにかく熱いのです。

それを冷ますために朝の冷気が必要なのです。

今では、こちらの大きな機械で強制的に蒸したお米を冷やすことができますので、余り朝早くから作業をすることも少なくなりました。

そしてこちらのモッコと呼ばれる巻き上げ式ホイスト(クレーンみたいな)ですが、こちら何故か群馬式とも呼ばれるのですが、多分最初に群馬の何処かの蔵元が使用したらしいです。

このモッコが使用される前は、褌(ふんどし)1枚で甑の中に入り蒸したお米をスコップで手作業で掘り起こしていました。

若い頃やりましたが、とにかく熱いです。

もちろん汗だくになります。

それでは次に、麹室(こうじむろ)にご案内していきます。

こちらの部屋は冬場に使用してる時は、30℃〜35℃位の気温になります。

麹菌を繁殖させるのには、適温なのです。

まずはこちらの麹室に、蒸したお米を手作業で引き込みます。

それから徐々に熱を冷ましながら、だいたい35度前後になりましたら、麹菌(もやし)を蒸したお米に振りかけます。

もやしを振りかけてから30℃〜35℃を保ちつつだいたい丸々2日かけて、お米のでん粉を麹菌の力を使いながら、甘くしていきます。

ちなみにワインやビールと比べてみると分かりやすいのですが、ワインが原料のために何もしなくても甘いので、そこに酵母菌(イースト菌)が、混ざれば発酵し始めます。

ビールは大麦を加熱すると甘い麦芽になりそこに酵母菌を入れれば、発酵が始まります。

日本酒は少しだけ複雑なためにに、麹菌を利用してお米のでん粉質を糖分に変化させてから酵母菌を入れて、酵母菌に甘い糖分を食べさせてアルコールへと変換させます。

こちらのワインやビールと日本酒は、親戚とか兄弟姉妹の関係にあります。

ワインを蒸留するとブランデーになります。

ビールを蒸留するとウイスキーになります。

日本酒を蒸留すると米焼酎となるのです。

そしてワインを腐らせれば、ワインビネガーとなり、ビールを腐らせれば麦酢となります。

日本酒を腐らせれば米酢になります。

こんなに簡単には出来ませんが、発酵食品は

様々の所で親戚や兄弟姉妹関係にあるのです。

 

こちらの麹菌ですが、日本の国菌となります。

日本酒と醤油や味噌は主に黄麹菌を使います。

その他黒麹というは、沖縄の泡盛に使われます。

そして黒麹の変異株の白麹は、九州地方の焼酎などに使われます。

この麹菌を使用して、日本酒造りや焼酎造り、味噌、醤油、みりん、泡盛等をすべてひっくるめて日本政府は、2年程前に政府の文化庁が、ユネスコ無形文化財に登録申請をしました。

後1、2年後には、ユネスコに登録されれば、

マスコミ等で報道されると思いますので、思い出して頂ければ幸いでございます。

 

 

 

 

 

 

蔵元見学パート1

本日は蔵元見学にご案内させていただきます。

それでは皆様、ようこそいらっしゃいました。

当店、見た目通りの造り酒屋でございます。

創業は江戸時代後期となり、今年で181年目を迎えております。

日本酒とは、米と米麹と水だけで造ります。

精米歩合により純米大吟醸とか純米吟醸とかに分けられるのですが、玄米を50%以下に削ったものが純米大吟醸と呼ばれます。

そして玄米を60%以下に削ったものが純米吟醸です。

次に玄米を99%以下に削ったものが純米酒と呼ばれます。

玄米を削る時に出てくる米糠ですが、外側の赤糠と呼ばれるものは、大体肥料として使われ内側の白い糠は、お汁粉などの上新粉やせんべい等の原料として使用されますので玄米を余すことなく、有効に使われております。

 

一部醸造用アルコールを加えた本醸造とか醸造用アルコールを添加したり糖類やコハク酸を加えた2倍醸造酒と呼ばれる普通酒もあります。

この醸造用アルコールですが、これが入れられる様になったのには歴史的背景があります。

第二次世界大戦時代の米不足の時に編み出された緊急避難用に造られた日本酒でした。

当時の日本政府は、税金を少しでも欲しいために醸造用アルコールを足して薄めて販売することを認めてきたのです。

それがずるずると現代まで続いてきてしまったのです。

さてこの醸造用アルコールの原料ですが、砂糖きびから砂糖を精製した後、残渣の廃糖蜜を発酵後蒸留したものです。

3年半年前に新型コロナが、始まったばかりの頃消毒用アルコールが不足してきたことを覚えているかと思います。

消毒用アルコールと醸造用アルコールは同じものです。

税金が掛かっているかの違いです。

その当時、全国のアルコールメーカーの蔵元には税金の掛かる醸造用アルコールがたくさんありました。

新型コロナが始まって2ヶ月程たった4月20日頃にやっと日本政府が免税措置を取りました。

こうして4月下旬頃には、全国の蔵元から税金の掛からない70%以上の消毒用アルコールが販売開始されて、少しずつアルコール不足は解消されたのです。

 

 

 

 

 

 

ユネスコの文化財登録について

南部杜氏夏季講習会に行きました。

新型コロナの影響で、4年ぶりの参加となりました。

自分も含めて久しぶりの講習会の参加のためか新人さんの受講する特科コースの受講者が50人以上いたらしく、急遽会場が変更になったらしく、冷房の壊れた会場にて扇風機が虚しく回っていたそうです。

今週の岩手県の気温は、35度前後でしたから暑くて勉強になったか心配です。

それから最終日の特別記念講演で文化庁の参事官付専門官の方による伝統的酒造りのユネスコへの無形文化遺産への登録に関する講演を聞きました。

この方大分異色の経歴を持つ方で、東京大学を卒業後、国税局の酒類専門の鑑定官室を渡り歩き、文化庁に出向しているそうです。

日本政府として国内外からの関心の高まりを受け、日本の食文化の普及を推進するための組織だそうです。

中国の紹興酒も麹を使った酒ですが、クモノスカビを使って生のもち米で造ります。

日本の場合は、うるち米を蒸した上にアスペルギルスオリゼー(日本麹カビ)を使用します。

そんな日本酒はいつ頃、どのようにしてできたのか?

米麹を使用した酒造りのことが、最初に出てくる文献では、奈良時代初期(713年)の播磨の国の風土記です。

ここでは神様に供えた蒸米が濡れてカビが生え酒になったと記されているそうです。

これが文献に残る最も古いものとされていますが、魏志倭人伝では3世紀頃の邪馬台国について、倭人は酒を嗜むと書かれていたらしくこの時代にはすでに酒は飲まれたいたと推測できます。

ただこの時代にはすでに酒が飲まれていた事は確かめられるが、どんな酒だったのか分かりません。

この当時の人達は米は今の時代のように水と一緒に炊くのではなく、甑(こしき)と呼ばれる蒸し器で蒸した強飯(こわめし)として食べていたらしい。

そして甑は、縄文時代後半の遺跡から出土していますし、水稲栽培が広く普及した弥生時代にも出土しているのです。

という事は、この蒸した強飯の水分量は、たまたま麹カビの繁殖しやすい35〜40%の水分量なのです。

炊いたり煮たりした米では、水分が多過ぎてカビの繁殖がしにくいのです。

蒸した米ならば、カビが生えやすいのです。

そこにたまたま野生酵母が取付きアルコール発酵したと考えられるのです。

古より伝えられてきた酒造りは、日本の文化に根付いてきたのです。

日本酒は、米のでん粉質を糖分に変えるために麹菌を使うという活気的方法だけでなく、麹菌のもたらす栄養素や酵素の働きにより、より味わい深い複雑な味をもたらすのです。

麹菌を使った技術は、地域ごとに発展を遂げ醤油や味噌、みりん、焼酎、泡盛等様々な発酵食品を生み出したのでした。

後2年後位には、ユネスコ無形文化財に登録されるらしいですので、楽しみにお待ち下さいとのことでした。