蔵元見学パート4
それでは次に醪(もろみ)の部屋にご案内いたします。
こちらにあります大きなタンクは、外側は鉄で出来ていますが、内側はホーロー引の洗面台と同じ様なガラス素材を吹き付けて焼いてあります。
ですから割れたりしなければ、メンテナンスしながら半永久的に使用できるでしょう。
実はこの鉄のタンクは大正時代や昭和初期頃にはお金持ちの蔵元にはありました。
先見の明のある蔵元は、所有してたのです。
ただし日中戦争勃発後、政府により鉄製品の半強制的金属回収令が発令されたため、鉄製品のタンクは没収されたのでしょう。
だから今でも何処の酒蔵に行っても昭和初期に製造されたはずのタンクはなかなか見つからないのです。
しかし小さなタンクは、見つからないように隠したのかも知れません。
当蔵にも昭和初期の小タンクが1つだけありました。
そして戦後の復興と共に高度経済成長傾向にあった昭和30年代〜40年代の製造のタンクが
多いのです。
さてこれから出来上がった酒母をこちらの大きなタンクに投入すると下から10センチ程の量になります。
それから何回かに分けて、添仕込、踊(1日休み)仲仕込、留仕込と日本酒は仕込まれていきます。
これは一度に大量に仕込んでしまうと酵母菌が薄まり過ぎて、雑菌が混入すると醪が腐造してしまうかも知れませんので、酵母菌の増殖を促しながら、何回かに分けて仕込むのです。
これは人間の免疫力と同じ様な構造で、例えば人の体にコロナ菌が少し位侵入しても、健康な免疫力の高い人なら掛からないのと同じことです。
それからこちらの大きなタンクにはだいたい蒸米と米麹が1000kg位の仕込なら水が、
1300L〜1500L位入ります。
だいたいこのタンクの3分の2位になります。
そしてお米の甘い糖分を酵母菌が食べてアルコールへと変換させ、糖化と発酵を繰り返しながら、20日〜30日位かけて目標の品質になったら醪を搾ります。
この搾った酒を一升瓶に詰めるとだいたいこのタンク一本で3000本位だとして、毎日毎日1日に四合呑んだとしてだいたい20年位かかる計算になります。
ホントに1日あたり四合も呑んでたら、肝臓の方が先に壊れますね。
それからこちらのタンク一本分のお米だけの値段ですが、米の品種や精米歩合にも依りますが、だいたい平均的には約百万円位だと思います。
現代の百万円なら返せない金額ではないと思いますが、昔の百万円分のお米の価値は今の何倍もの価値があったと思います。
ですから一本でも腐造してしまうと責任感の強い杜氏さんは自殺してしまう人もいたと聞いております。
そんな危険な仕事ですから、当然お給料も良かったらしく3年〜4年杜氏をやると故郷に豪邸が建てられたと言われてます。
なんでそんなに早く建てられたかと思いましたが、あくまでも自分の憶測ですが、その当時は、蔵元から今年の酒造りは、例えばですが約三千万円を渡されたとします。
すると杜氏は自分の手下を10人〜15人程を連れてきます。
それからあんたは1年目だから百万円、あんたはベテランだから五百万円とお給料は杜氏の采配一つなのです。
大工さんも同じ様な徒弟制度でした。
ですから残りのお金は全部杜氏の懐(ふところ)に入るのです。
あくまでも憶測ですが、ピンハネの上手な杜氏程早く家を建てられたのでしょう。
さて時は江戸時代、この頃は関西地方の灘や伏見の方が、酒造りが盛んでした。
そして大消費地の江戸へ大量な日本酒を船でどんぶらこと運んでおりました。
そんな時、船に乗る船頭たちが、内緒で樽の酒を盗み呑みしていたと言われてます。
そして呑んだ分だけ水で足すものですから江戸へ着く頃には酒が薄くなります。
さらに販売店でも水で薄め、飲食店でもさらに水で薄めるものですから金魚酒なんて言葉も生まれました。
これは金魚が泳げる程水っぽいと言うことです。
そしてこの当時、上方(京都)から江戸へ酒を運ぶことを下り酒と言いました。
お得意様の江戸へ運ぶ酒は、美味しいお酒を運びました。
それとは逆に出来の悪い酒は、地元で消費され(下らない酒)たそうです。
こうして下らない酒=美味しくない酒とされ「下らない」と言う言葉が生まれました。
以上で酒造りの説明を最後までご拝読いただきましてありがとうございました。