toujinomichiの日記

酒造りの四方山話

江戸時代の酒屋もんの賃金

ようやく梅雨も明けて本格的な夏が、やってきました。

今回は、昔の造り酒屋の給料について調べてみました。

江戸時代の初期(1687年)の童蒙酒造記(兵庫県伊丹市)によれば、清酒を700石醸造するのに、碓(からうす)を使用した足踏み精米の場合、1日6石前後(約1080kg)の精米で、せいぜい8分搗き(精米歩合92%)で蔵人が40人前後いたらしい。

江戸時代の中期(1726年)頃になると碓(からうす)を使用した水車精米に変遷され、酒造技術の革新をもたらし、1日辺り16石(2880kg)の精米で1割五分搗き(精米歩合85%)で蔵人も12〜14人と一気に労働力アップにつながりました。

 

江戸時代後期文化、文政(1804年〜1829年)になると灘の生一本(純粋)と銘酒と呼ばれはじめました。

灘地区が、他の産地より銘酒と呼ばれたのは、六甲山系の急流を利用した精米方法で

精白度が高かったからと言われてます。

灘の酒造業発展の技術革新は、水車精米に始まり、仕込日数は長くなるが寒造りをすることで上質な酒に変化を遂げたことだと思います。

現代の酒造りの麹歩合は、20%前後位なのですが、江戸の初期頃には麹歩合が6割位でしたが、江戸後期頃になると麹歩合が3割位となり、仕込水も6割位だったが10割り位と増え、酒造りにおける仕込水の技術的革新となり、醗酵原理の合理性に近付いた時代である。

この当時、一造り700石で14人雇用形態していた造り酒屋で、酒造期間一切の責任を負うごとに対する報酬として杜氏(頭司)に700匁、頭に200匁前後、麹屋、酒母屋に180匁前後、その他釜屋、船頭、道具廻し、飯焚きに110匁前後だった。

現在の価値に直すと、その当時杜氏を2、3年やると田舎に一軒家が建てられるて言われてましたので、現在の年収で1000万〜1500万位になると思われます。現代の杜氏は、会社にもよりますが、大手企業でも高くても800万位かな?小さい造り酒屋なら、年間雇用でも

300万位の杜氏がいますね。

ただ、酒造りは奥が深いもので、お金に代えられない造る楽しさがあるのも事実ですね!