toujinomichiの日記

酒造りの四方山話

奈良時代の酒に氷?

さて今から遡ること1300年前、天武天皇の孫で高市の皇子の息子の長屋王は、高貴な血筋だけでなく極めて優秀だったことから、草壁皇子の娘吉備内親王正室に持ち、当時左大臣藤原不比等との娘を側室に迎え、藤原不比等亡き後、大納言、右大臣、左大臣と出世街道まっしぐらと進み、政治の実権を握った。
最初に氷の記述が登場するのは、313年頃の仁徳天皇時代の延喜式によると天皇家の氷室村の場所が示されてるようです。古代、池にできた氷を氷室と呼ばれる
(深さ2、3m周囲10m以上おそらく5トン〜10トン)
をすすきや稲わらでおおい保管庫として夏に利用したのだろう。
日本書紀によると当時、天皇家以外では、貴族の中でも特別な存在しか使用できなかったが、長屋王は、氷を酒に浸して使うとあり、今のオンザロックのように飲んでいたらしい。

その後、966年頃の清少納言の関わった枕の草子には削り氷に甘葛煎(あまづら)を掛け氷菓子として、食べていたらしいし、その後の源氏物語にも、夏の暑さをしのぐため、氷を身体に付けたりしていたみたいです。

しかしながら、この長屋王の時代は長くは続かず、藤原四兄弟にはめられて、朝廷から謀反の疑いを受け、自害しました。
江戸時代になると、氷に多摩川の水を入れて冷水として飲まれていたらしいしが、衛生が悪く腹を壊すことがあり、
慣用句として「年寄りの冷や水」と云う言葉ができたとさ!